賤ヶ岳の戦いの合間に、岐阜城に行こうとした秀吉。
大雨やら、勝家の奇襲の知らせがあったりで、急遽、余呉湖近くまでの戦場に引き返したという話。
で、。。。。
この史実は「美濃大返し」と呼ばれ、
52km を 5 時間で移動したとか。。。
ムムム。。。
これって須磨から宝塚まで駆け抜ける六甲連山縦走の距離とたいして変わらんやん!!!
六甲縦走の最速クラスでも、6時間切りは少ないだろうに。
ネット調べると、素人は 12 時間くらいかかるらしい。
当時の東海道、北国街道の整備具合を知らんけど、めっちゃ速くないか?
秀吉の「中国大返し」は有名だけど、こっちは 230km を 10日間移動。
1 日あたり、20km 前後。
荷物の搬送を考えてもそんなに早くない印象。
こっちも、当時の道の整備具合気になる。
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